ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

AI革命で人は幸せになれるのか?

AIやロボットの進化で、労働力が少なくなっても生産性は上げられる。巷でよく聞く話だが、果たしてそれで人は幸せになれるのだろうか?

産業革命によって大量生産が可能になり、土地を持たない人たちも豊かになった。しかし、産業革命が資本家と労働者という格差を生んだことも忘れてはいけない。

AIやロボットの発展で人々が楽になるためには、雇用や収入をしっかり守る必要がある。AIやロボットを導入する事で、今いる人材を辞めさせてはいけない。そんな法律がない限り、大半の企業は大規模なリストラに走り、街は失業者であふれることになるに違いない。そんな新しい時代になっても生き残って行くスキルを身につけなくてはいけない、と評論家は言うだろう。だが、そんな評論家たちでさえAIにとって変わられるかもしれない。

科学技術の発展は人類の幸せに結びつく。それが半分は当たり、半分は幻想であったことが明確になった今こそ、格差是正の最後のチャンスではないだろうか?

今こそ哲学や倫理学の大革命が求められている。

もう遅いのかもしれないが、何とか明るい方へ時代が流れていって欲しい。それが切なる願いである。

誰の言葉で書くのか?

もう四半世紀以上も前の話を、先日、ふと思い出した。放送作家をやめて帰省し、プランナー兼コピーライターのような仕事をしていた頃のことだ。何の行事か忘れてしまったが、政治家を目指しているという同世代の青年に出会って少し話をしたことがある。(私にも青年時代があったのだ。懐かしい)

彼は後日行う演説の原稿のチェックをしていた。大変ですねと声をかけると、「自分の言葉で話さないと聴衆に伝わりませんからね」と微笑みながら答えた。彼が誰だったのかは覚えていないが、その時に私は「放送作家、コピーライター、プランナーと随分沢山の文章を書いてきたが、全て誰か(タレントさんや商品、クライアントなど)の代弁であって、自分の考えを自分の言葉で書いたことはないな」と思ったものだ。

放送作家の時は、デビューして間もないタレントさんの番組を担当することが多かったため、番組内で話す言葉を一言一句書くことが多かった。その人の喋り口調を頭に叩き込みながら、アドリブっぽいフレーズや「あ、間違えちゃった」と言う言葉までも台本に書いたものだ。

自分の考えを自分の言葉で書く。一見、当たり前のように見えるが、放送や広告の世界でモノを書く時にはなかなか許されるものではない。自分の意見を言いたければ、政治家や評論家になれば良い。商業ライターは、売れるか売れないか、が勝負である。

 

あの時の政治家見習い、今はどうなっているのだろう。年齢や選挙区から言うと岸田政務会長あたなんだけど、もしそうなら彼は相当頑張ったんだと思う。

先が読めないドコモのCM

auソフトバンクが、三太郎や白戸家と言う安定のシリーズCMを展開している中、ついにドコモが新シリーズCMの投入に踏み切った。星野源が演じるプロデューサーが、ドニマル・コスモフ・モンジュウロウと言った3人のキャラクターを売り出すストーリーになっているが、わけのわからない3匹のキャラクターをどう説明して行くのか、また真剣佑と浜辺美波と言う、ヤング層の間では人気があるものの全世代的には知名度でかなり劣る2人をどのように浸透させて行くのか、全く先が読めない。

(3人のキャラクターの名前の最初の文字が「ドコモ」になる点がドコモらしいとも言えるが)

堤真一綾野剛、高畑光希を起用した前シリーズから一気に若返りを計ろうとする気持ちはわかるが、ネットに掲載されているプロフィールや関係図を見てもちょっと設定が難しすぎるような気がする。どの辺りまで先の案を考えているのか分からないが、常に全世代を対象にしたCMを展開してきたドコモとしては、かなり思い切ったシリーズであることには間違いない。

キティちゃんやおそ松さん鉄人28号などの著名キャラクターを脇役に、「ド・コ・モ」のキャラクターを星野源が売り出して行くのか、久々にクリエイターの手腕が試されるシリーズCMの登場に、期待半分・不安半分で注目して行こうと思っている。

考える筋肉

企画を立てるにしても企画書を作るにしても、かなりの労力を必要とする。アイデアと言うものは天から降って来ることもあるが、それを周りに伝えるカタチにするためには、あーでもないこーでもないと頭の中での試行錯誤が欠かせない。

そのための基礎トレーニングは、ただ一つしかない。毎日24時間、いつも何処でもアンテナを張り考え続けること。最初は意識して取り組まなくてはいけないので苦しいかもしれないが、そのうちクセになるので意外と楽だ。日常生活への弊害があるとすれば、映画やドラマ、CMを見ても先を読んだり企画意図を考えたりしてしまうので、純粋に楽しめなくなることくらいだろうか。私の場合、頭の中で推測したドラマの先をつい家族にに言ってしまうので、嫁さんや子供達にかなり面倒臭がられているが。

考える筋肉は、気を抜いたらあっという間に小さくなってしまう。私も長い間このブログに何も書かなくなって明らかに筋力は落ちた。救いがあるとすれば、テレビを見ていても先読み裏読み企画意図の推測と言ったクセが身体に染み付いているくらいか。

私もいつの間にか還暦を過ぎた。新しい海に漕ぎ出すのは古い水夫ではないだろう、と言う吉田拓郎のフレーズがいつも頭の中に響いている。若い頃は若さこそ力だと信じ、ベテランと呼ばれるようになってからはベテランなりの味を出すような頑張ってきた。そして、古い水夫になった今、こうして自分で得てきたプランニングのトレーニング法を書き綴っているが、若い人に当てはまるかどうかはわからない。

年寄りの妄言かもしれないが、最近のテレビやネットコンテンツを見ていると、あまりに初歩的なミスが多すぎるような気がする。テレビのニュースもほとんど毎日と言っても良いくらい訂正原稿を読んでいるし、偏向報道はもちろん、単純な言葉やアクセントの間違いが多すぎる。誰もチェックしていないのだろうか?

広告デザインや企画書も、社内で簡単に作れるようになったせいか目を惹くものが極端に少なくなった。AIによっていろんな職業が消えていくと言われているが、デザインやプランニングは既にプロの仕事から外されようとしている。思いついたことをすぐに企画書にするのではなく、もっと良い案はないか、違う視点から見たらどうか、もっともっと考えて欲しい。

第一線を退いたロートルに先を読まれるような企画を見ることほど辛いものはない。もっと強い筋肉をつけて真剣に考えると言うことに向き合ってもらわないと、こんな奴らに負けるのかと一線から退くことが悔しくてたまらなくなる。

楽な道を歩くな。考えることを止めるな。頭の中のカメラを止めるな! 営業マンが片手間で書いた企画書がまかり通っている世の中は、決して健全ではない。

「モノからコト」は正しいのか?

もう何年も前から言われていることだが、小売業界には「モノを売るのではなくコトを売れ」と言う考え方が、新しい売り方として根強く残っている。

私が東京に住んでいた30年以上前、当時、時代の最先端を走っていたMATSUYA GINZAが、婦人服売場、神式服売場と言った「モノ起点」の売場作りをやめて「ナチュラリスト向け」、「都会派向け」などライフスタイルに合わせた様々な商品を各フロアに分けた「コト消費」を重視した売場を作って話題になったことがあった。

業界では「これぞMATSUYAならではの新時代の売場だ」とマスコミでも大きく取り上げられたのだが、実際に買い物に行くと、これが実に面倒臭い。財布が欲しいと思って行っても、テイストごとに売場が各フロアに散らばっている。他店に無いようなデザインの財布もあるので楽しいって言えば楽しいのだけど、探す楽しさは1度で十分。各フロアを回った後に、気に入った財布が置いてある商品のフロアまで戻るのが大変だった。

コト消費で括った売場は見て歩くには面白い。ただ、普通の人は「モノ」を買いに行くのであって、小物に至るまで自分なりのライフスタイルを確立している人は少ないのではないだろうか。だからこそ今の松屋は、紳士服売場、婦人服売場と言った「モノ中心」のフロア構成に戻っているのだと思う。

 

私が関わっていた家電量販店でも「モノからコト」へと売場を変えようと今まで何度もチャレンジしてきた。二子玉川や広島駅前にできたエディオン蔦屋家電では、家電と書籍、雑貨などを組み合わせた新しい売場を展開している。最初に店に行った時は、従来の家電量販店の概念を覆す「見た事もない店舗」だと興奮した。しかし、ワクワク感も最初だけで、シェーバーが欲しいと思って店に行った時は売場にたどり着くまで随分と苦労した。やはり客の立場としては、お店には「モノ」を買いに行くことがほとんどなどで、理美容品売場とかテレビ売場と言った「モノ主体の売場」の方が購入したい商品を選ぶ時にはありがたい。

 

何か面白いものはないかとお店に遊びに行く時は「コト売場」は面白い。しかし購入したい時は「モノ売場」の方がはるかに探しやすいのも事実だ。「コト」で括った商品を提案することで新たな需要を掘り起こしたいと言う気持ちは理解できるが、現実を見ると、やはり「モノ中心」の商品選びは続き、結果として「もので括った売場作り」は続いて行くと考えている。

「AI」ではお店を救えない

AIと言うブラックボックスが世の中を変えようとしている。ただし「AIがそう指示しているので」と言うだけで販促会議を切り抜けられる日が来るとは思えない。責任者や担当者が理解できないままデータが出した答えに従うのは大きな間違いだ。

ひと頃「データマイニング」と言う言葉が流行った。「この商品を買った人はこう言うものも見ています」などとAmazonのサイトに自動表示されるような商品をお店やDMで提案できる、と一部の部署でデータマイニングを賞賛する声が上がった。ネットのように膨大な商品を大量の閲覧者に対して紹介する、いわば「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」的なケースでもモトが取れるなら良いが、限られたスペースで限られた来店客に提案するにはあまりにも無鉄砲な販促手法だ、と現場を知っている人間は相手にしなかった。

やがて「ビッグデータ」と言う言葉が流行った時も、販促部門の中では同じ経過を辿っていった。もちろん、データを軽視している人など一人もいない。販促や営業活動はデータが全てだと言っても良いくらい、みんな数字を重視している。要は、データが導き出した「意味」と「効果」を、言葉で説明し、それが理解できて初めて人は動くのだ。

データマイニングビッグデータと言う言葉が流行っていた時代も、一番有効な分析手法はRFM分析だった。直近で来店されたのはいつか(Recency;リセンシー)、どのくらいの頻度で利用して頂いているか(Freqency;フリークエンシー)、いくら位ご購入頂いているのか(Monetary;マネタリー)。この3つの要素を用いてお客様をランク分けして行くと、2〜3割のお客様が売上の7〜8割を占めていることがわかる。また、同じように2〜3割の商品で売上の7〜8割を占めていることが多い。このRFM分析に商圏分析を組み合わせれば、ある程度の売上予測は可能になり、会議でも説得力のあるデータとして使われる。店長や店員もデータの意味を理解しているので、自信を持って販促や接客できる。これが重要なポイントだと考えている。

AIがどんなに発達しても、途中経過が理解できないまま導き出されたデータは使えない。だが、誰もがAIのデータを信頼して使うようになり、売上と言う結果が付いてくるようになれば、マーケティングと言う仕事そのものが無くなるのだろう。

タレントの起用

地方都市にいると広告展開に有名なタレントを使う機会など滅多にない。ほとんどは、クライアントの社長さんが知り合いだとかローカル用の低予算に応じてくれる場合に限られる。

飲料メーカーや車など、数多くの販売店を持つ会社が積極的にタレントを使うのは、認知アップと同時にグッズプレゼントなどと絡ませて商品購入や店舗への集客が期待できるからだ。

また、ビールや水着メーカーなどはタレントとは別個にキャンペーンガールを起用する事もあるが、彼女たちの仕事の多くは、地方の販売店回りであることが多い。ポスターに載っている綺麗なお姉ちゃんがお店に来てくれたり一緒にお酒を飲んでくれたら、販売店の社長の士気も上がる。

 

有名タレントの力は極めて大きい。知人である東京のクリエイティブディレクターが、あるキャンペーンにジャニーズのタレントを起用したところ、予想以上の反響に驚いたとも言っていた。

誰を起用するかで商品や会社のイメージも決まってしまうし、売上に直結することも多々ある。ローカルプランナーとしては、なかなか有名タレントを提案する機会がないが、私は、東京に本社がある有名企業のCMに誰が起用されているかで、企画意図を推理するようにしている。

例えば、ノド飴のCMには、天童よしみとか瀬川瑛子などの演歌歌手が選ばれることが多い。このことから、やっぱり飴ちゃんのターゲットは演歌好きなおばちゃんなんだろうなと言うことがわかる。また、自動車はターゲットが明確だ。家族向けなのか女性向けなのか、それとも富裕層を狙うのか。車種を見なくてもCMを見れば大体想像がつく。

タレントを起用するためには、出演料の他に契約金が必要になる。かなり高額になるが、一定期間、競合他社のCMはもちろん、プライベートでの他社商品の使用さえ制限されるのだから、その保証料もコミという事で事務所的には強気に出られる。

たたし、一番のリスクはタレントのスキャンダルだ。クスリとか暴力事件、自動車事故のような犯罪はもちろん、恋愛や私生活での事も大きなスキャンダルになる事がある。文春砲が元気になって、ますますタレント起用のリスクは増えて来た。お笑いタレントのCMが人気の割に少ないのもリスクを考えてのこと。CMは人気を示すバロメーターと言われる事もあるが、実際は「人気と信用のバロメーター」である。人気があるのにCMに起用されないなぁと言うタレントは、本人だけでなく事務所や家族に問題があることが多い。もちろん、タレントのポリシーとしてCMに出ないと言う人もいることを断っておく。

かつてのCM女王だったベッキーは、ゲス不倫と言うたったひとつのスキャンダルでCM界から姿を消した。事務所はもちろん、広告代理店は事後処理が大変だったと思う。彼女のポジションを埋めたのが、高畑充希と松岡美優で、大手スポンサーが数多く起用している=信頼されているタレントは、綾瀬はるかと石原ひとみ、西島秀俊阿部寛ではないかと私は勝手に思っている。

このように、CMや広告展開を見て「何故このタレントを起用したのか? 何故このようなビジュアルにしたのか? 何故この媒体を使ったのか?」などと言った企画意図を想像するだけでも、企画力を鍛えるトレーニングになるのではないだろうか。