ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

理論武装

広告は芸術ではない。もちろん広告の芸術性を否定するつもりはないが、若いデザイナーの中には勘違いしている人も多く、企画意図を全く無視して自分のセンスだけに頼った広告を作ってくることがある。

何故この写真を使ったのか?何故こんな色を使ったのか?何故?何故?何故?と質問しても、面白いから、格好良いから、目立つから~等と言う感覚でしか答えられない。若手のクリエイターにそこまで期待はしていないのだが、広告だけでなくビジネスの世界で生きていくためには、忘れてはいけないことがある。

「何となく」は通用しない。

実際に成功している企画の多くは、クリエイターのセンスとか経営者の勘と言った言葉では説明できない特別な「何か」で決まっているのだが、成功した企画は、例え後付けにせよ、成功した理由を理論的に説明できるものばかりだ。

どんな企画でも実現させるためには予算がかかる。そのお金を出してもらうからには、クライアントが納得できるだけの理由をキチンと説明しなければいけない。クライアントの何故に答えなければ実現しないのだ。ニュースでよく聞く「説明責任」は、政治家だけに求められるものではなく、企画提案する際にも、商品を買って頂くお店の人にも、商行為に関すること全ての事でお客様に納得して頂けるだけの説明をする必要がある。

良さがわかる人にだけ買ってもらえれば良い!と開き直る前に、どうしたら「良さ」を分かってもらえるのか、納得して頂けるのかと言うことに力を注ぐべきだと思う。もちろん相手にヘコヘコしろと言っているわけでは決して無く、あくまでも対等な立場で話をすれば良い。お客様が支払う金額以上のメリットを提供できれば、お互いが得をする。それが商行為なんだと考えている。

何となく売れたものは何となく消えて行く。感性だけで勝負する人も立派だが、それを言葉でキチンと説明できる理論が付いてこないと世の中には出てこない。そう思っている。