ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

プランナーという職業

私が広島に帰って地元の広告代理店に勤めるようになったとき、入社時の肩書はコピーライターだった。最初のうちはチラシのコピーやラジオCMなど、それなりの仕事が多かったのだが、広島にもマンションブームの波がやって来て、分譲マンションを販売するための販促企画を作ることになった。

販促企画と言われても何をどう書けばよいのかさっぱりわからない。そんな時、大手調査会社が作った手書きの企画書を誰かが手に入れてくれたので、それを参考に見様見真似で作ってみた(後になってその企画書を作った人と知り合うことになる)。

当時、少なくとも広島にはプランナーという言葉はなかった。仲畑貴志氏や糸井重里氏の活躍でコピーライターという職業がわずかに認知されていた程度で、企画書は営業やコピーライターが手書きし、それを女の子にワープロで清書させるという状況が当たり前のような時代だった。当時から私はアイデア出しの段階からパソコンを使っていたのだが、周りの人たちからは「パソコンで遊んでいる」と思われていたようだ。

自らプランナーと名乗るようになったのは独立してからだ。幸いなことに、プランナーとして四半世紀に渡って色んな仕事をさせてもらったが、その間、同じ肩書きを持った人には数人しか出会えていないし、多分これからもないだろう。プランナーという職業そのものが無くなる可能性も高い。と言うのも、パワーポイントとカラープリンタの登場で誰もがそれなりの企画書を作れるようになった今、プランニングとか企画書作りという作業がビジネスマンの必須アイテムになってきたからだ。今まで企画書作りは、広告代理店など外部スタッフに任せておけば済んだかもしれないが、これからはどんな業種でも社内で企画書を作らなければいけなくなる。

それだけに『プランニング能力の重要性』は高まっている。

ほぼ日手帳糸井重里氏や、AKBのプロデューサーとしてもお馴染みの作詞家・秋元康氏、くまモンを生み出した小山薫堂氏、デザイナーの佐藤可士和氏など、ひと昔前ならプランナーという肩書きで仕事をしていてもおかしくはない。しかし今は、プランニング能力に加えて作詞やデザインなどの力を併せ持たないと活躍できない。

このブログでは、近いうちに無くなるであろう「プランナー」という仕事を続けてきた人間が、あらゆる業種や職種で必要になって来る『プランニング能力の高め方』や『わかりやすい企画書の書き方』を紹介して行きたいと考えている。自分がやってきたことが誰かの役に立つのは嬉しい事だし、ひょっとするとプランニング・トレーナーと言う新しい仕事が生まれるかもしれないという下心もある。