ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

テレビの向こう側

テレビを見ていて「最近ニュース番組での訂正が多いなぁ」と感じている人はいないだろうか。名前の漢字を間違えたり、酷いものになると犯人の写真を取り違えたものもあった。ここまで来ると単純に間違えたでは済まされない。

局サイドは、VTR編集や原稿作成に追われて時間がないからと言い訳するのだと思うが、あまりに常識的と思われることさえ間違えていることがある。原稿がオンエアされるまでに、記事を書く人、ディレクター、フロアディレクター、アナウンサーと最低でも4人が原稿に目を通すはずだ。それでも間違えるというのは、報道マンとして日頃の知識吸収に問題があるということだと思う。

常にテレビの向う側=制作現場だけでなく打ち合わせの段階までさかのぼって想像すると、色々なことが見えてくる。キャンペーンにそのタレントを起用したのは芸能事務所との力関係?特定のテレビ局だけで告知しているのは系列企業が絡んでいるから? スタジオジブリと日テレのように放送局が製作にも絡んでいる時は簡単だが、実際はスポンサーやメディア、芸能事務所、広告代理店などの意向が微妙に絡み合っている事もある。民放と新聞社の関係は有名だが、それだけではなく、ローカル局の多くは地元の企業や銀行などの出資も受けている。その系列会社のCMは、当然、関係の強い局への出稿が多くなり、イベント告知などもローカル番組の中で積極的に取り上げてもらえる。

余程のことがない限り制作部門は独自の判断で番組を制作しているが、営業を通じてストップがかかることもある。かつての「8時だよ!全員集合」など、低俗番組としてPTAを通じて何度もクレームがきた。だが高視聴率をキープし続けスポンサーも降りなかったので番組は続いた。本当に子供達に悪影響があると思うなら、番組を見せないようにして視聴率を下げるか、番組スポンサーの商品の不買運動をするしかない。スポンサーはユーザーからのクレームを怖がるし、テレビ局も視聴率を必要以上に気にしている。打ち切りになった番組の多くは視聴率が取れなかったことが大きな原因だが、それが全てではない。

モノゴトが変化する時は、必ず誰かの意向が働いている。

このように言うと陰の首謀者がいるように聞こえるが、変化をもたらす「誰か」は、ごく一般の視聴者であることが多い。CMも同じだ。誤解を与えそうな表現だなと思ったCMの多くは、いつの間にか映像の一部やナレーションが変わっていたりする。おそらく大半の人はCMが変わったことにも気付かないと思う。

最近、宮崎あおいが出演しているユニリーバのヘアケア商品クリアのCMが変わった。宮崎あおい自身が喋っていた「私はカワイイから卒業する」というコメントを聞いた時、随分と挑発的なコピーだなあと思った。制作者は「私は、“カワイイ”から卒業する」であることは明白で、わざと誤解を招くようなコピーを使ってインパクトを強めたのだろう。そう思って気にしながらもスルーしていたら、いつの間にかナレーターによる無難な表現に差し代わっていた。

制作スタッフはもちろん責任者は何度もチェックしていたはずだ。私が抱いたような危惧は当然織り込み済みだったと思う。それが変更になったのは、予想以上にお客様からのクレームが多かったのか、それとも会社のトップが家族か知人から言われて宣伝部門の責任者に変更を指示したのか、必ず理由はあるはずだ。結局、ナレーションが変わって今では何の印象にも残らないCMになってしまった。

テレビの向こう側を想像しながら見ると、テレビはもっと面白くなる。