ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

行って帰り

「行って帰り」。

今では滅多に聞かなくなった言葉だが、子供の頃に祖母や母からいつも言われていた。「いってらっしゃい」と言う意味だ。広島の方言だと思っていたが、まわりの友人に聞いても知らないという。まさかウチだけ?と思っていたところ、NHKのテレビ小説「マッサン」で使われていた。やはり広島の方言だったということがわかり、少し嬉しい。

最近、何かの番組で「いってらっしゃい」と言う言葉には「どこかに行っても、元気で帰ってらっしゃい」という願いが含まれている、という話を聞いた。「行って帰り」という言葉は、まさしく「元気で帰っておいで」という意味をそのまま表している。

日本人は、無宗教の人が多いと言われている。私も初詣には神社に行くし、法事は仏教、クリスマスも祝う。最近では、意味も分かっていないのに、デパートの戦略に乗せられてハロウィンの季節にはパンプキンケーキを買って帰ったりする。

私たちは日常的に「袖すり合うも多生の縁」とか「情けは人のためならず」などといった仏教から生まれた言葉を使っているし、ご来光を拝んだり、小さな祠(ほこら)に手を合わせたり、何の神様かはわからないが人間を超越した存在である「神様」を敬う習慣が、自然に身に付いている。

日本には、七福神という神様がいる。神道の神様だけでなく、仏教や道教、果てにはインドのヒンズー教の神様まで仲良く同じ船に乗っている。

テレビで明石家さんまが言っていたが、以前、オーストラリアの税関で取り調べられた時(もちろん誤解だったが)、七福神のストラップかキーホルダーを持っていて、これは何かと聞かれたそうだ。その時に「セブン・ゴッズ」と答えたら「ノー!ゴッド イズ オンリーワン!」と怒鳴られたとか。どこまでホントでどこからがネタなのかわからないが、日本人の性格をよく表している話だなと思った。

何でも受け入れてしまう性癖は、日本人特有のものなのかも知れない。昔のことを水に流す、というのも、日本人ならではのようだ。日本人の多くは、戦争のことを「水に流して」いるが、攻められた方はまだ覚えている。そちらの方が国際的に見れば当然らしいが、今の世界には「水に流す」と言う考え方こそ、必要なんじゃないかと思っている。

ひとりの神を信じて互いに戦争をするよりも、すべてを受け入れ、すべてを水に流す方が素敵だ。

堅苦しい教義に縛られた「〇〇教の信者」という人よりも、「自分は無神論者」とノー天気に言ってのけながら、日常生活の中に色々な「神様」への敬意が溶け込んでいる普通の日本人の方が、よほど信心深いような気もするのだが、どうなのだろうか。