ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

本音と建前

例えば、入社直後に先輩と飲みに行った時の話を想像して欲しい。どうしてこの会社を選んだのかと聞かれ「創業者の考え方に感動して」などと言うと、おそらく先輩は「そんな建前じゃなくて本音を聞かせてくれ」と言うだろう。そして「給料が高かったから」と答えると、先輩は「そうだろうな」と安心した顔をする。

人間は、自我や欲というものと同時に、良心といったピュアな心を持っている存在だ。そして何故か、自我や欲を「本音」、ピュアな気持ちを「建前」という分け方をしている。いつから人は、そういう風に考えるようになったのだろうか。

人生のすべてを貧者のために尽くしたマザー・テレサは「建前」に生きたのか? 災害時にボランティアとして参加してくれる人たちは、みんな「建前」で行動しているのか? そんなことはない。

私は、マザー・テレサやボランティアの人たちこそ、人間が持つピュアな心をそのまま行動に表したものだと思っている。つまり、他人の役に立ちたいという考えや行動の方が「本音」なのだ。

本音という言葉は「本当の音色」と書く。バイオリンの本音は澄み切った弦の響きであり、フルートの本音は心を揺さぶる伸びやかな音色だ。人間も同じように考えると、おそらくすべての人が持っているであろう「ピュアな心」をストレートに奏でて行くことこそが、人間が持つ本当の音色、「本音」ではないだろうか。

もちろん、成功したい・お金持ちになりたい・出世したい・有名になりたい・・・そんな欲をすべて消すことは難しい。それも本当だが、ピュアな心や持って生まれた良心を曇らせるような自我や欲を前面に出して生きて行くことの方が、本音を隠して生きる、つまり「建前」で生きていることだと思う。

「お前の本音は何だ?」と聞かれた時に「誰かの役に立てるような人間になることです」と堂々と言える世の中が、一日も早く来ればいいと願っている。