ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

考える筋肉

企画を立てるにしても企画書を作るにしても、かなりの労力を必要とする。アイデアと言うものは天から降って来ることもあるが、それを周りに伝えるカタチにするためには、あーでもないこーでもないと頭の中での試行錯誤が欠かせない。

そのための基礎トレーニングは、ただ一つしかない。毎日24時間、いつも何処でもアンテナを張り考え続けること。最初は意識して取り組まなくてはいけないので苦しいかもしれないが、そのうちクセになるので意外と楽だ。日常生活への弊害があるとすれば、映画やドラマ、CMを見ても先を読んだり企画意図を考えたりしてしまうので、純粋に楽しめなくなることくらいだろうか。私の場合、頭の中で推測したドラマの先をつい家族にに言ってしまうので、嫁さんや子供達にかなり面倒臭がられているが。

考える筋肉は、気を抜いたらあっという間に小さくなってしまう。私も長い間このブログに何も書かなくなって明らかに筋力は落ちた。救いがあるとすれば、テレビを見ていても先読み裏読み企画意図の推測と言ったクセが身体に染み付いているくらいか。

私もいつの間にか還暦を過ぎた。新しい海に漕ぎ出すのは古い水夫ではないだろう、と言う吉田拓郎のフレーズがいつも頭の中に響いている。若い頃は若さこそ力だと信じ、ベテランと呼ばれるようになってからはベテランなりの味を出すような頑張ってきた。そして、古い水夫になった今、こうして自分で得てきたプランニングのトレーニング法を書き綴っているが、若い人に当てはまるかどうかはわからない。

年寄りの妄言かもしれないが、最近のテレビやネットコンテンツを見ていると、あまりに初歩的なミスが多すぎるような気がする。テレビのニュースもほとんど毎日と言っても良いくらい訂正原稿を読んでいるし、偏向報道はもちろん、単純な言葉やアクセントの間違いが多すぎる。誰もチェックしていないのだろうか?

広告デザインや企画書も、社内で簡単に作れるようになったせいか目を惹くものが極端に少なくなった。AIによっていろんな職業が消えていくと言われているが、デザインやプランニングは既にプロの仕事から外されようとしている。思いついたことをすぐに企画書にするのではなく、もっと良い案はないか、違う視点から見たらどうか、もっともっと考えて欲しい。

第一線を退いたロートルに先を読まれるような企画を見ることほど辛いものはない。もっと強い筋肉をつけて真剣に考えると言うことに向き合ってもらわないと、こんな奴らに負けるのかと一線から退くことが悔しくてたまらなくなる。

楽な道を歩くな。考えることを止めるな。頭の中のカメラを止めるな! 営業マンが片手間で書いた企画書がまかり通っている世の中は、決して健全ではない。