ARGOの「プラトレ」

通る企画書を作るために。プランニングのトレーニング

プランナーの寿命

私が広告の世界に入ったのは30代半ば、1988年だった。当時はまだプランナーという言葉はほとんど使われておらず、とりあえずコピーライターとして地元の広告代理店に入社した。企画書も「書く仕事」という理由でコピーライターが担当することが多く、訳がわからないままに新規事業の提案書という大それたものを作ったことがある。

私は、東京にいた時から趣味と実益を兼ねてパソコン(NECのPC−9801が中心だった)を使っていたが、広島でパソコンを使う人などほとんどいなかったため、会社に頼み込んで買ってもらったワープロでコピーや企画書を書いていた。コピーライター本人がワープロを使うというケースは少なく、手書きで書いたものを女性事務員にワープロで打ち直してもらうと言う仕事のやり方が当たり前だった時代だ。ワープロ画面に向かっているだけで「清書は事務に任せろ」「あいつは遊んでばかりいる」と言われていた。

丁度その頃、Macintoshという新しいパソコンが発売されたと言う売り込みがあり、個人的には興味を持ったが、とても会社に買ってもらえるような金額ではなかった。なんせMacintosh本体が数十万円もしただけでなく、フォントだけで数万円、レーザープリンタもモノクロで何十万円もしていた時代だ。そんな高い機械を入れても元が取れる訳がない〜それが会社の判断だった。

それから1年もしないうちに、古参デザイナーと二人で子会社を作るように命じられた。広島に帰って念願?のサラリーマンになれたのにと固辞したが、何故か本社とは別の場所に事務所を開いてデザイン&プランニング事務所を始めることになり、新会社設立のドサクサに紛れて、ここぞとばかりリース契約でMacintoshを導入した。デザイナーが扱うMacにはPhotoshopIllustratorを、そして私のMacにはExcelPageMakerを入れた。今では定番ソフトになっているExcelも、当時はMacでしか動かすことができなかった。Windowsがリリースされる何年も前の話で、MS−DOSで動作する表計算ソフトと言えばはLotus1-2-3くらいで、Excelに比べると機能の差は歴然としていた。

Excelのおかげで、当時としては本格的な「データ分析」という作業が可能になり、仕事の幅が広がった。分譲マンションのための市場調査から始まり、大型量販店のセール実績を商品別や顧客別に分析することが可能になり、データ分析だけでも仕事が入ってくるようになったのだ。全国規模の大型量販店ともなると、天候や一部店舗の顧客特性による違いが平均化され、DMやチラシに掲載した商品の売上は、表現方法や価格設定、掲載面積などの要素によって変わることがわかるようになる。そうなれば次回の改善策の方向性が見えてくるので、データを蓄積して行くことでヒット率(購入率)が徐々に上がって来た。

この作業を通じて大手代理店との仕事が増えてきて、最終的にプランナーとして独立することになるのだが、その時に代理店の支社長からこう言われた。

「コピーライターは感性が勝負だから長期間にわたって現役を続けるのは難しいが、プランナーなら経験値が上がって出来ることも増えてくるので、感性とか才能は関係ない。歳を取ってもやって行けるからプランナーになって良かったんじゃないか」

確かに、自分にコピーライターとしての才能があったとは思えない。もちろんプランナーとしての才能があったとも思えないが、たとえ才能がなくても努力と経験で企画書を書くことは出来る。実際、還暦を迎えた今も企画書作りという面では負けないつもりだ。自分の経験から見るとプランナーと言う仕事ははクリエイターではなくアナリストに近い。だから、コピーライターに比べると現役として働ける期間も長いと考えている。パソコンやインターネットと言う新兵器が、ローカルでもフリーランスのプランナーとしてやって行ける可能性を広げてくれた。

時代に感謝。
と言いたいところだが、ネットの普及拡大によってバナー広告やSNSなどの新しいメディアが登場してきた。この流れにいつまでついて行けるか、この歳になっても時代に翻弄されている。それがプランナーの宿命なのだろう。